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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2279号 判決 1967年7月20日

控訴人

通商産業大臣

菅野和太郎

右指定代理人

高橋正

外二名

被控訴人

小山田拓之

村本庄治

右両名訴訟代理人

内田博

外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、「原判決のうち、控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一・二審とも被控訴らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出・援用・認否は、当審におけるものについて、以下に訂正補足するほか、原判決事実摘示(原判決二二枚目〔記録六〇五丁〕表四行目から裏第一行までの記載部分を除く。)と同一であるから、ここにこれを引用する。

第一控訴人訴訟代理人は、当審において、つぎのとおり述べた。

一(本案前の申立理由として、原判決書二〇枚目〔記録六〇三丁〕表七行目から二一枚目〔記録六〇四丁〕裏二行目までの摘示部分に代わるもの)

(一)  鉱区の範囲は鉱業権設定許可の時点において、鉱区図の客観的合理的解釈によつて実地に特定される区域に確定されている。鉱区の境界に関する表示変更は鉱区の境界を示す鉱区図の諸記載のうちに、これらの記載を総合解釈して特定される実地の鉱区の位置と符合しないものがある場合に、単にその記載を右位置に符合させるにとどまるのであり、本来設定許可によつて確定している鉱区の客観的位置、範囲が右表示変更によつて消長をうけることはありえないのである。原判決は、表示変更が官庁の誤つた判断の下になされた場合には事実上鉱区の範囲に異動を生ずることがあるとされる。しかし、かかる場合には鉱区図の表示は変更にも拘らず依然として本来設定許可時に確定している鉱区の客観的位置に符合しないだけのことであり、これによつて鉱区の範囲に異動を生じえないことにはかわりがないのである。それゆえ、かくの如く法的効果の発生しない表示変更は取消訴訟の対象としての行政処分には当らないものといわねばならない。

(二)  原判決は誤つた表示変更の存在によつて鉱業権者の権利行使に諸種の不利益が生ずるから、これが排除のために表示変更を行政処分としてその取消を訴求しうべきものとされる。しかし、鉱区図の表示変更は右に述べたとおり鉱区の客観的範囲に消長を及ぼさず、鉱業権者は表示変更の誤りを指摘して本来の鉱区を主張するに法律上何らの妨げもないのである。そして該表示変更の存在が本来の鉱区を主張するに当り事実上何らかの影響を及ぼすことがあるとしても、かかる事実上の影響だけでは未だ表示変更を行政処分と解すべき根拠とはなしえないのである。

(三)  かりに、試掘権の存続期間満了前においては、誤つた表示変更によつて事実上の不利益を受けることが考えられ、これをもつて表示変更を行政処分というに支障がないとしても、試掘権が存続期間の満了によつて絶対的に消滅した後においては、もはやいかなる意味においても行政処分の存在を肯定する余地はない。けだし既に消滅した試掘権の客観的範囲如何はそれ自体過去の法律関係であり、従つて、該試掘権の鉱区図上の表示につき、かつて存した表示変更の当否も既に試掘権と共に消滅した過去の事実に関するものであり、これをもつて取消訴訟の対象たるべき行政処分が現存し、取消によつて回復しうる法律関係が残存するとは到底解しえないからである。

(四)  原判決は、鉱業権の存続期間満了後においても隣接鉱区との間に鉱区の境界に関する紛争が残存する限り表示変更の取消を求める利益があるとされる。しかし、かかる紛争は鉱区の客観的範囲如何、ないし鉱業権に対する侵害の有無によつて決せられるべきものであつて、表示変更の当否が右紛争解決の前提をなすわけのものではないのであるから、右紛争が残存することは既に鉱業権と共に消滅した表示変更の取消を訴求する利益を肯定する理由とはなしえない。

(五)  原判決はさらに本件訴の利益を肯定する理由として、採掘出願の許否が試掘鉱区図の表示変更における認定によつて決せられる必然的関係にあるとされる。しかし、試掘権存続中の採掘出願により優先的順位を確保しうべき採掘権の範囲は試掘鉱区の客観的範囲においてであつて(鉱業法三〇条)、試掘鉱区図の表示変更における認定によつて拘束され、これによつて決せられるものではないのである。表示変更における認定が試掘権の客観的範囲に合致する正当なものである場合には右採掘権の範囲も結果的に右認定に一致するに至るけれども、右認定が誤つていた場合に採掘権の範囲が右認定におけると同一の判断によつて決せられる必然性は全く存しないのであり、むしろかかる認定の誤謬が右処分に当つては看過されることなく遮断され、試掘鉱区の客観的範囲に沿う処分がなさるべきであり、またそのことは充分期待されるのである。本件において仙台通産局長が採掘出願に対する処分を保留しているのは被控訴人等の申請を容れたまでのことであり何ら右の結論を妨げるものではない。それゆえ未だ採掘出願に対する処分のなされる以前において、該処分が表示変更の誤謬を看過し、事実上これと同一の判断によつてなされる可能性があるというだけの理由で、採掘出願に対する処分を争う以外に、これと別箇に表示変更の取消を訴求する利益はないのである。原判決は本訴を取り下げ、採掘出願に対する処分をまつてこれに対する抗告訴訟を提起することは迂路であり、訴訟経済にも反するとされる。しかし被控訴人等の採掘権の確保は採掘出願に対する処分を争うことによつて最も有効直接に期しうるのであり、本訴を維持することこそ迂路である。また訴訟経済の観念は本件のごとく不適法な訴を維持するための理由とはなしえないのである。

以上の次第であるから、本件訴(原告小山田拓之の提起にかかる)は不適法として却下さるべきものであり、これを認容した原判決は破棄を免れないのである。

二(原判決書二八枚目、記録六一二丁の裏三行目から同三一枚目、記録六一四丁裏五行目までに摘示されている主張の補足)

本件で争いとなつている表示変更処分の当否は、(1)本件出願図(二)・許可図(二)および国土地理院発行の五万分の一地形図「栗駒山」図面中にある東(小型円型)と西(大型橢円型)との二個の湖池のうち、いずれを現地の「朱沼」と見るべきか、(2)みぎ五万分図に「仙郷沢」として表示されている沢は、現地の「朱沼」を挾んで現在する東(当事者間で「劒沢」と呼んでいるもの)と西(当事者間で「仁郷沢」と呼んでいるもの)との二つの沢のうちいずれに当ると見るべきか、の二点にかかつている。

控訴人は、みぎ(1)については、二個の湖池のうち西側のものが朱沼を示していると主張する。現行の五万分図は、大正二年刊行の原図に昭和九年になされた修正測量の結果によつて修正を加えたものである。大正二年の基本原図には、一個の湖池のみ記載され、「朱沼」と表示されている。みぎ原図の「朱沼」の位置・形状および「朱沼」なる表示文字の位置からして、それが現行図上の西側の沼と一致することは、疑いがないことは、前述の主張を支持するものである(現存しない東側の湖池が現行の五万分図の上に記載されるに至つたのは、昭和八年の修正測量実施時が雨期であつたと推測され、作業者が現地で東側の堪水面(池)を発見したため、修正加筆して報告したことによるものである。)

つぎに、前述の(2)についてであるが、(1)について述べるとおり、前述の図面上の西側の沼が「朱沼」であることが確定されると、その東側に「仁郷沢」と表示されている沢は、まさに当事者間で「劒沢」と呼んでいる現地の沢を示していることになる。現に、この地を管轄する増田営林署の昭和三〇年一一月一七日付の仙台通商産業局長あての回答によると、現地のその沢の呼称は、「劒沢」である。しかるにその後控訴人において国土地理院につき調査したところ、同院長からの回答によると、前述昭和九年の修正測量時に東成瀬村役場から提出された地名調書および同調書付図によつて、現地の「朱沼」東側を流れる沢を「仁郷沢」と呼んでいることを確認したとのことであり、したがつて現在も五万分図上の正式呼称は、「仁郷沢」であるとのことである。そこで控訴人としては、従来現地の「朱沼」の東側を流れる沢は「劒沢」であつて、五万分分図上の「仁郷沢」の表示は、その誤記である旨を主張(原判決三一枚目、記録六一四丁の表三・四行目)してきたけれども、ここにその主張を改め、その沢は、現在「劒沢」ともいうが、五万分図上の正式呼称は、「仁郷沢」であると爾後このように主張する。そうして、現地「朱沼」の西側を流れ、当事者間で従来「仁郷沢」と呼んでいるものは、五万分図の上でも等高線の顕著なくびれによつてこれを解読することができ、ただ流水およびその名称の表示およびその名称の表示を欠いているだけのことである。

さていうまでもなく、本件許可図(二)および出願図(二)は、いずれも五万分図を延図して作成されたものであるから、上述のように五万分図のうえで西側の沼こそ現地の「朱沼」であり、その東側の「仁郷沢」名義の沢が当事者間にいわゆる「劒沢」であり、「朱沼」西側の等高線の顕著なくびれによつて示される沢が当事者間にいわゆる「仁郷沢」であることが確定される以上、本件許可図(二)および出願図(二)に「朱沼」の名称を付されている西側の沼が真実現地の「朱沼」を指すことに疑いなく、またその東側にある「仁郷沢」名義の沢は、当事者間にいわゆる現地の「劒沢」を示すものであることはいうまでもない。したがつて、みぎ図面において基点とされている川又は、当然みぎ実地の「劒沢」の川又であると解すべきことになるし、その結果として、みぎ図面における七号測点は、表示変更図に示すごとく実地「劒沢」の東側に認定すべきこととなるし、ひいてさらに仙台通産局長が本件表示変更処分において五号測点を実地「朱沼」北辺に存するものと認定したのは、相当というべきである。

第二控訴人訴訟代理人の当審における主張に対し、被控訴人ら訴訟代理人は、つぎのように反駁した。

一表示変更処分は、本来単なる表示の誤記等を訂正して、本来許可された鉱区の客観的範囲をより一層明確にするための行政処分である。若し、これが鉱区の内容に実質的変更を及ぼし、目的たる鉱床の帰属に変動を及ぼすようなことが行われたときは、それは表示の変更に名をかりた鉱業権の剥奪であるから、その処分の取り消しを求めることができることは、言をまたない。ところで現に被控訴人らは、仙台通産局長の違法な表示変更処分により、これにより先設定された試掘権の内容を成す目的鉱床を奪われ、訴外栗駒鉱業株式会社によつて本来被控訴人らの所有に帰すべきはずの鉄鉱石数万屯を採掘され、莫大な損害をこおむつている。すなわち、仙台通産局長の誤つた判断によつて、鉱業権の内容に実質的変更を及ぼすような表示変更処分が行われたものであるからこそ、被控訴人らは、表示変更の誤りを指摘して、その取り消しを求めるものである。

二「五万分の一の図上で『仁郷沢』の名称を付して表示されている沢は、現地の『劒沢』を表示したものである。」旨の控訴人の主張(前出第一の二)は、誤りである。

「劒沢」は、「朱沼」北方約一〇〇〇米の地点で本流「仁郷沢」に合流しているところのアク沼に源を発している無名の沢のその支流の沢である。原審でも明らかにしたような「劒沢」と「仁郷沢」との現況(原判決第一の三(七))に徴して、現地の「劒沢」のみをことさらに「仁郷沢」と命名して表示することは、これを首肯することができない。控訴人の引用する国土地理院の回答は、根拠薄弱な事実を前提とする推論の結果の誤まつた判断である。すなわち、五万分の一図上の二つの沼のうち西側のそれを現地の「朱沼」と断定する根拠が薄弱である。大正二年の基本図作成に際して、誤つて「仁郷沢」の西側に沼を表示したところ、昭和九年修正測量実施の結果「仁郷沢」の東側に「朱沼」の存在を認めて、これを記入しながらも、調査不徹底のため、「仁郷沢」の西側に沼が存するか否かを確認しなかつたため、その誤りをそのまま踏襲し、現行五万分の一図に同沢をはさんで二つの沼が表示されるに至つたものとも解することができるのである。要するに、五万分の一図の読図上その表示の「仁郷沢」は、現地のその沢を表示したものなのである。

第三証拠 ((省略))

理由

第一控訴人の本案前の申立の当らないことについては、原判決理由の第一(判決書三二枚目〔記録六一五丁〕の裏一一行目から四二枚目〔記録六二五丁〕の表二行目まで)につくされているので、その記載(但し、同判決書三二枚目裏一二行目に「農林大臣」とあるのを「通商産業大臣」と訂正する。)をここに引用する。控訴人は、当審においてもこの点の主張を維持し、補足的主張を試みる。しかし、鉱区図に関するいわゆる表示の変更は、通商産業局長が鉱業法第六一条の規定にもとずいてする公法上の一の存在であつて、しかも鉱区図の更正によつて鉱業権につき変更の登録をするのであるから、かかる法律上の存在自体についての違法性の存否は、いわゆる抗告訴訟の対象となり得るものと解すべきである。これに反する控訴人の所論は、理念としての表示変更処分と、現実の表示変更処分の顕現(被控訴人らは、その主張の内容の当否を別としても、係争の表示変更処分なるものがいわゆる表示変更の名にかくれて、被控訴人らの有する鉱業権の内容に変更を加え、よつて被控訴人らの有する権利に侵害を齎した旨を主張していることは、その訴旨に照らして明らかである。)との問題を混同するもので、これを採用することができない。また、過去の法律関係の効力いかんは、いかなる意味においても訴訟の目的となり得ないということはなく、さきに引用した原判決の理由中にも見えるとおり(判決書三九枚目〔記録六二二丁〕表三行目以下)、係争の表示変更等によつて或る一定の区域の土地が被控訴人らの権利に属する試掘権の鉱区外である旨の公権的解釈が明らかにされた場合、この土地について被控訴人らがなした採掘権の設定出願が不許可とせられることが明らかであるにおいてをやである。これを要するに、控訴人の本案前の申立の事由として主張するところは、これを採用することを得ない。

第二本案の判断

一本案の判断を示す前提として、原判決が第二「本案の判断」の一から三まで(原判決書四三枚目〔記録六二六丁〕の冒頭から五〇枚目〔記録六三三丁〕表五行目まで)に判示したところについては、当裁判所は、つぎに訂正する点を除いて、原裁判所と同じに考えるから、その記載(但し、(イ)の原判決書四四枚目〔記録六二七丁〕表四行目および四五枚目〔記録六二八丁〕裏末行に各「出願鉱区図」とあるを各「鉱区図」に改め、(ロ)四四枚目〔記録六二七丁〕表二行目、四八枚目〔記録六三一丁〕表一〇行目、同裏一行目、同裏五・六行目、四九枚目〔記録六三二丁〕表二行目、同四行目、同裏三行目および同裏四行目にそれぞれ「出願鉱区図」とあるのを、それぞれ「出願の区域図」に改め、(ハ)四八枚目〔記録六三一丁〕裏三行目および四行目に「出願鉱区図」とあるのを「鉱区図」に改め、(ニ)四四枚目〔記録六二七頁〕表四・五行目、同八行目および同裏七行目の各括弧内の文字を削る。)をここに引用する。当審における当事者双方の新たな主張および立証に照らしても、この引用部分に実質的の変改を施す要を見ない。

二本件における主要な争点は、被控訴人らが第一七、一八二号試掘権(以下これを第二号鉱区と呼び、第一七、一八一号鉱区を第一号鉱区と呼ぶ。)設定の主たる目的であると主張する鉄鉱床の存在する仁郷沢(控訴人は、当審における主張として、現地での名称として、また従つて原審以来当事者間で「劒沢」と呼ばれて来た沢は、五万分の一図上の正式呼称によれば「仁郷沢」であり、従来「仁郷沢」と呼ばれて来た沢は、五万分の一図上での無名の沢であると主張するに至つた。原審および当審における検証の結果によれば、裁判所は、現地について「朱沼」といわれる湖沼を検分し、その東側と西側とにほぼ併行して南から北へ流下する二個の沢があることを認め、その東側の沢を「劒沢」と、その西側の沢を「仁郷沢」であるとして扱つて来た。被控訴人らの主張する「仁郷沢」とは、この西側の沢を意味するが、以下には紛れを避ける必要あるとき、「仁郷沢」を「西の沢」と、「劒沢」を「東の沢」として引用することとする。)流域および付近一帯の地域が変更図のとおり被控訴人らの鉱区外にあるものとすることが、控訴人の主張するようにやむを得ない結果であるとすべきか、あるいは被控訴人らの主張のように第二号鉱区内にあると認定するのが相当であるか、この点の判断を左右する決め手は、本件許可図(二)における五号測点の位置を実地およびこれを反映すべき図面上のどの点に認めるべきかに存するのである。

この争点の判断を示すに当つて、まず当事者双方の主張の論拠と目されるところを本件訴訟にあらわれた資料との関連において明らかにしておく。まず、控訴人の主張を見る。

原判決添付別紙第一図面の(一)(二)(甲第五号証の一・二の内容に同じ。以下出願図(一)(二)という。)および同第二図面の(一)(二)(甲第四号証の一・二の内容に同じ。以下許可図(一)(二)という。)によれば、第一号鉱区の西および南に隣る第二号鉱区の四号から八号までの各測点を順次結ぶ直線の囲む地域の中心に、略図Aのように一つの沢(出願図(二)では沢名を付していないが、許可図(二)では「仁郷沢」という沢名を付している。また、出願図(一)および許可図(一)によれば、東北に隣接する第一号鉱区の区域外となるが、みぎ第二号鉱区内の沢に該当する流水表示の記載をし、これに「仁郷沢」という沢名が付し

てある。)および流域の表示があり、出願図(二)および許可図(二)の北西隅五号測点の南側に「朱沼」の表示があるところ(許可図(一)(二)と出願図(一)(二)とを比較すると、前者が五千分の一、後者が六千分の一の縮尺であり、等高線の表示において全体的に前者が後者よりやや緻密であり、前者(二)において後者(二)におけると異なり、「朱沼」の名を付した沼の記載のほかに、その東側に沢の流水表示を隔てて小形円型の、名を付しない沼の記載があるほかは、その他の地形表示がほぼ同一である。)、

(イ)  原判決添付別紙第三面(甲第六号証。以下変更という。)記載の「朱沼」(略図B参照)は、前示出願図(二)および許可図(二)に記載の「朱沼」ならびに五万分の現行図栗駒山(甲第一八号の一・二、甲第八号証の六、乙第二号証の三)記載の二つの沼の表示のうちの西の沼と同一であり、まさに現地に見る「朱沼」に当るものであり、

(ロ)  変更図記載の「劒沢」の名を付した沢(略図B参照)の流水表示は、出願図(一)(二)および許可図(一)(二)に記載の沢の流水表示ならびに前記五万分の一図で「仁郷沢」という名称(現地では、「劒沢」ともいうが、五万分の一図上での呼称は、「仁郷沢」である。)の沢と同一であり、現地に見る「東の沢」に当るものであり、

(ハ)  変更図中に「大仁郷沢」として記載されている沢(略図B参照)は、出願図(一)(二)には記載されていないか、許可図(二)および前記五万分の一図中の「朱沼」の西側に記載されている沢(もつとも五万分の一図には、流水表示を欠くが、「朱沼」の西側に記載の等高線の著るしいくびれによつて沢の存在が読みとれる。)と同一であり、現地に見る「西の沢」に当るものであり、「西の沢」は、「東の沢」とは、水源・集水域を異にするから、「西の沢」の流域が四・五号各測点を結ぶ線の西側に帰するものとして鉱区外とせられることは、当然の帰結である、とする。

控訴人のみぎ主張に対する被控訴人らの主張は、つぎのようである。

(イ)の点につき、出願図(二)および許可図(二)の「朱沼」の記載に該当する沼は、現地に実在せず、現地に存する「朱沼」は、出願図(二)の沢を隔てた東側に存し、許可図(二)および五万分の一図の二つの沼の記載のうちの東の沼に当るものであり、したがつて、(ロ)(ハ)の点につき出願図(一)(二)および許可図(一)(二)の沢の表示は、現地の「東の沢」ではなくて、「西の沢」であり、五万分の一図中の東西二つの沼の記載の間の流水表示に当り、「東の沢」の表示は、みぎらの各図面には表示されていない、すなわち、出願図(一)(二)および許可図(一)(二)の沢に付された「仁郷沢」という沢名は、文字どおり「西の沢」を指すのであり、その「基点川又」もみぎ「西の沢」の川又を指すものにほかならないとし、これらの主張のしめくくりとして、変更図において、四号から八号までの測点を順次に結ぶ線の囲む区域の中心に「劒沢」の流域を取り入れ、「朱沼」を五号測点の一角内に取り入れることの結果として、「西の沢」の流域を四号および五号測点を結ぶ線の西側としたことは、誤りである、とする。

ところで、現地の地形につき審理の結果明らかにされたところは、<証拠>をあわせて考えるところによれば、つぎのとおりである。

(1) まず、現地には、「朱沼」をはさんで二つの沢が流れている(甲第二号証の二参照)。

(2) 「東の沢」は、後記の小安・須川両温泉間山路に架した土橋付近においての沢巾約四米、そこでの両岸は、相当に高い。つぎに説明する川又(控訴人主張の基点川又)からこの土橋までの距離は、直線で約七〇〇米と推測されるが、その間のさして高くない両岸には灌木が沢の上面を蔽いかぶさるように茂り、岩の間いつぱいに沢水が流れており、その間の徒渉は後記の「西の沢」の遡沢に比しやや面倒である。土橋より上流の川又での合流点沢巾は、約三・七米であり、東方からの沢巾三・七米の本沢に西方からの沢巾一・八五米の支沢が流入する。この支沢の小渓流は、西方の湿地帯に発するものであり、この湿地帯は、それより東方に聳える秣丘の山襞には、そのままでは続かないので、その水源は、秣丘東側面の集水域としての谷とは、関係を持たない。

(3) 「西の沢」は、後記の小安・須川両温泉間山路の渡河点付近において、その沢巾が約九米の両岸は、高い崖でV字型をし、水流および水量は、「東の沢」の土橋付近におけるに比してやや急且つ多である。両岸も「東の沢」におけるより高いので、沢巾の広いことと相まつて、樹木が沢面を蔽うようなことがない。

(4) 以上の「東の沢」と「西の沢」とは、後記の「朱沼」付近までほぼ併行して南から北へ流れ、「朱沼」の北端付近から約一粁の下流において合流する。「東の沢」の最も奥深い源泉は、土橋付近から南方へ直線で約一、一〇〇米辺りの標高一、二〇〇米ないの一、三〇〇米の等高線の付近まで辿ることができると推測されるが、他方この沢域の西側をほぼ南北に走る尾根(この尾根は、南方の宮城県との県境近くに発し、北へ延び、「朱沼」を山上湖として、さらに北へ延びて、「東の沢」と「西の沢」との合流点に終わる。)を隔てて、西の沢域が存する。すなわち、西方の標高一、四二四米の秣岳を盟主として、東成瀬村と皆瀬村との境をなす南北に走る山脈と前記の尾根とによつてその中間に、前記東の沢域と別個独立のより広い沢域が形成され、この沢域中の最も奥深い地点は、南方宮城県との県境近く、朱沼西方渡河点から直線で約二、〇〇〇米の地点に位するものと推測され、この沢域は、「西の沢」の集水地域である。

(5) 現地には、沼として、南北に長くその直径が約五百米に近く、地表上には出入の流水を認めがたい「朱沼」と呼ばれる山上湖がただ一つ存在する。付近の道路として、はるか西北の小安温泉付近からほぼ東南行して岩手県境付近の須川温泉へ通じる、人間一人が通れる程度の輻をもつ山路が存し、小安温泉から漸次登行すると、「朱沼」の西側で急坂を下降して、「西の沢」を渡り、再び登り途となつて「朱沼」の北西隅付近にとりつき、そのまま「朱沼」の北岸に沿うてその北東隅から「朱沼」と別れて台地を下り、「東の沢」に架された土橋を越して東行することとなつている。

さて、以上に認定することのできる現地の地形を頭において、前措五万分の一図栗駒山および許可図を検討すると、その図面につぎのような誤りが認められる。

(a) 「朱沼」のほぼ北と南とにおいて、南方宮城県境から北へ伸びる前記(4)認定の尾根が明確に記載されておらずその結果として、秣岳を盟主とする山脈の東方において、みぎの屋根によつて分けられるべき二つの谷が一つのそれとして示され、従つてまた「東の沢」と「西の沢」とが区分されずに、一つの沢として流水表示がなされている。(b)「朱沼」の名称の表示部分に東西二個の沼の表示があり、その東側のものは西側のものより小さく、ほぼ円型であるが、右の東側のものは存在しないものをこれありとする誤記である(甲第二号証の二によつて、須川温泉と秣岳との各三角点からの距離を推算し、これを甲第一八号証の二の図上の二つの沼の表示にあてはめてみること、「朱沼」という文字が西側の沼を示す渕の一隅に重なつて記入されていること、乙第二号証の二の旧五万分の一図に東側の沼の表示がなく、乙第二号証・同第三号証の一・二によれば、昭和九年の修正測量時に存した水たまりが東の沼として表示されたことが認められること等のいずれによつても明らかである。)

(c) 朱沼付近の道路として、須川温泉からの山路が「朱沼」の東北方一八〇米あたりで「朱沼」に近くなるが、そのまま離れて西北進し、「朱沼」の北端から西北二三〇米あたりで渡河するように表示されているのは、少くとも現状に合わない。そうして、さきに原判決中の認定を引用した部分によつても見られるとおり、出願図および許可図(出願修正図)は、五万分の一図を部分的に延ばして写したものであるので、後者中の真実と異なる、みぎ判示のような地形の表示がそのまま前者に踏襲されたことが当然に推論されるのである。なお、許可図(二)においては、「朱沼」の西側において、五万分の一図におけると異なつて短いながらも流水表示がなされており、それが尽きる地点から更に南へ等高線のくびれによつて示される谷の表示が認められるようである。しかし、許可図(二)に示されるところでは、その谷の表示もさして深いものではなく、これと同形の谷の表示は、その典拠である五万分の一図にもなされていて、しかもそれは秣岳の東北斜面に終つている。してみれば、許可図(二)の「朱沼」の西側に示された谷の表示は現地の「西の沢」の沢域と甚だ異なり、これを表示したものと解すべきではなく、このことは、許可図(二)の図上では、「朱沼」の北端の前示渡河点付近の地点に川又があることになつているのに、現地における「東の沢」と「西の沢」の合流する川又は、はかるに北の地点であることからも知られよう。また、許可図の基点川又から南々西へ遡つて表示されている沢は、鉱区外に延びているが、若しこれが控訴人の主張する「東の沢」の一支流であるとすれば、前認定の現地においては、鉱区内の湿地帯に発するもので、延長に誤りが存する。しかのみならず、前説明の五万分の一図上で二つの沢の水源を誤つて一つのそれとして表示したこととも関連して、支流でなく本流を表示したやにも推測されないではなく、結局この部分の水流表示は、「東の沢」の一支流として本来はより短かるべきものが誤つて長大に誤記されたものである旨の控訴人の主張は、これを採ることができない(のみならず、許可図(二)の南々東隅に示された等高線によつて看取することのできる谷筋は、表現のやや雑なものを含む嫌いはあるが、水流表示の尽きる点よりさらに県境近くまでこれを辿ることのできることをも付言しておく。)。

さて、出願にもとずく許可図中に重大な誤記が存し、後に真実の地物・地形が明らかにされたとき、さきに許可された鉱区の区域を真実のいかなる地域にあてはまるものとしてこれを認定すべきかについては、さきに引用した原判文中の説明(第二の二)にもように、許可図中にあらわされた地形地物等の記載を合理的に解釈してなすべきものであり、区域を一応限定する基点と、測点相互間の方位・距離のみによつて、ことを決定すべきものではない。そして本件許可図中の顕著な地形表示の一つとされている沼については、現実に「朱沼」が一つ存するにかかわらず、五万分の一図上二つの沼が併存するものとして記載せられ、許可図はこれを踏襲しているところ、現実の「朱沼」がその西側のものであること及び沢については現実には顕著な「東の沢」と「西の沢」とが二つ、しかも間隔を僅にしてほぼ併行して流れているのにかかわらず、五万分の一図上では、混同してこれらを一つの沢として表示しているに過ぎないことは、前説明したとおりである。してみれば、この図上に表現された一つの沢が、現実の「東の沢」(控訴人のいう「劒沢」こと「仁郷沢」、被控訴人らのいう「劒沢」)または「西の沢」(控訴人のいう「無名の沢」、被控訴人らのいう「仁郷沢」)のいずれを表現したものであるかを詮議することは、意味をなさない。五万分の一図上のこの一つの流水表示に「仁郷沢」の名が付記されていることも前説明のとおりであるが、これは現実に存する他の「仁郷沢でない沢」を図上で排斥したことにはならず、「東の沢」が本来「劒沢」であるか、または「仁郷沢」であるか、「西の沢」が本来「仁郷沢」であるか、または「無名の沢」であるかは、これを問擬する必要のないことである。したがつて、五万分の一図上の叙上の誤りを踏襲したと見られる出願図および修正出願図中の出願区域の中心に一つの沢を表示してある限り、そうしてそれに「仁郷沢」の名が付してあつても、他に特段の事情のない本件においては、一つの沢が表示されているとの一事によつて、現にある二つの沢のいずれか一のみを表示したものに止まり、他の沢(それが「東の沢」であるにせよ、「西の沢」であるにせよ。)の表示をことさらしなかつたものと解することは、相当でない。五万分の一図が一般的には地形図としての刊行物中で最も信頼に値いするものとされて来たことは公知のことに属し、実測を要しない鉱区の出願に際し五万分の一図を典拠とすることが一般に行われていることから考えると、前措五万分の一栗駒山に表示された一つの沢を出願図に写しとり、これがそのまま許可図とされたことも無理からぬことであつて、現地の「東の沢」と「西の沢」とがともに表現されたものと解することが相当である。また五万分の一図に代表的に表示されたともいえる一つの流水表示に付された「仁郷沢」という名称による表示は同じく「小字仁郷沢」の表示と相まつて、この地域における沢を総称する普通名詞的に使用されたものとも考えられるから、五万分の一図上に沢名として「仁郷沢」の名称のみが記載されていることも、流水表示の個別性の解釈にとつて必ずしも決定的ではありえない。また、乙第二号証の一・四によれば、五万分の一図上の「仁郷沢」という名称の記入は、現地東成瀬村役場からの報告によつたものであると認められるけれど、同時に同村の公図上でも、「朱沼」付近における二つの沢の存在は全く知られておらないことが認められる。してみれば、五万分の一図ひいて出願図および許可図上に「仁郷沢」という名称の記入は、「東の沢」がそれに当ることを意識してなされたものか、または「西の沢」がそれに当ることを意識してなされたものか、いずれともこれを判定することができない。ところで、出願図(二)および許可図(二)において沢としての流水の表示が「朱沼」の東側に表現されているので、「朱沼」との関係位置によれば、第二鉱区は「朱沼」の東側で、「東の沢」の沢域を中心とするものと解し得られないではない。しかしながら、同図上「朱沼」の西北端の測点が設けられたのは、鉱区として「朱沼」そのものに重要性があるのはなく、五万分の一図に表示された「仁郷沢」を鉱区内にとり入れるには、図上その西側の沼付近に測点を設けるのが適当であつたに過ぎないと解される。このことは、みぎ各図面上の四号および五号各測点を結ぶ線が沼の中央を南北に過ぎる形で引かれており、沼の西半分は鉱区から外れていることからみてもわかるのであつて、沼の沼としての存在自体は、区域の重要な要素とされていない趣旨であると推測すべきである。すなわち、図上二つの沢が沼の東西に明示されている場合であれば別であるが、前示のように、二つある沢が一つしかないものとして地形図に表示されている場合において、探鉱の立場からは沢に比して重要視されない沼の左岸または右岸のいずれに存するものとして表示されているかは、地形表示としてこれを重視し、誤謬訂正の決定的根拠とするに足りず、また、「朱沼」が許可図の鉱区の西端に位置することも、同様に考えるべきである。次に、許可図(二)の左下隅にみえる道路ならびに「東の沢」および「西の沢」らしいものの合流点川又を思わせる表示は、前示のように現地の地形と著るしく趣を異にするから、これらの記載を基準として考えることも相当でない。<証拠>中以上の認定に反する部分は採用しない。

これを要するに、出願図(二)および許可図(二)の区域図の中心をなす沢およびその流域の表示が現地の「東の沢」およびその沢域を表示したものと断定するに足る資料がなく、むしろ許可図に「仁郷沢」の流域を中心として鉱区を設定する旨表示されてあるのを重視し、現地の近接した「東の沢」または「西の沢」のいずれの沢域をも包含する表示がなされたものと理解することを相当とするから、その趣旨に添うように基点および測点を設定して鉱区を認定すべきである。しかるに、仙台通商産業局長がさきになした表示変更処分は、以上の判示と異なつて、許可図(二)の表示が現地の地形と異なるところから、許可図(一)(二)に記載の基点と、これからの測点間の方位・距離を基準として、第一・二鉱区をあわせて鉱区を認定し、その結果として、「東の沢」(控訴人のいう「劒沢」こと「仁郷沢」)の沢域が係争第二鉱区の中心をなすものであり、これに反して「西の沢」の沢域の大部分が区域外であるとして、そのように二つの沢の間に五号および四号各測点間を結ぶ線を引いたものであつて、ひつきよう第一・二鉱区域を違法に認定したものであり、これを維持して被控訴人らの異議申立を却下した控訴人の決定も失当であり、ともに取り消しを免かれない。よつて、これと同趣旨において被控訴人らの本訴請求中の各処分の取り消しを求める各請求を認容した原判決は相当である。当裁判所は、控訴人の控訴を棄却することとし、民事訴訟法第三八四条・第九五条・第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。(西川美数 上野宏 外山四郎)

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